民俗学 宮田登著
民俗学など全く関心などなかったのに、異文化に触れたりしたせいか、自らのアイデンティティについて考えざるを得ないことに気づいた。
学問の大部分が明治以降、西洋から輸入され発展してきたが、唯一、民俗学だけが民間の研究者によって担われきた、という。
それは、国学者の本居宣長(1730〜1801)、平田篤胤の江戸期に遡り、その問題意識とは失われゆく日本古来の風習への関心だった。
驚くべきことに、この頃すでに本居は江戸の都市化を憂いている。つまり人の往来が活性化し地域性がなくなること。
そして、都市も田舎も古代文化は消滅し、海山の辺境の地を記録すべきだと言っている。
約150年後の柳田國男(1875〜1962)も同じ意識を共有していたことが分かる。
郷土の崩壊、消えゆくものへのまなざしから、明治後期から郷土研究を開始する。
それは郷土そのものを研究するのではなく、郷土人の意識を通じて日本文化の原型を取り出そうとする。
柳田の生きた明治大正とは日本が近代化し、都市化、大衆化していく時代。柳田の危機的意識には保守的態度が垣間見える。
おそらく、保守思想とは失われていくものに対するまなざし、態度なのだと思う。
著書に戻ると、柳田國男と菌類学者にして博覧強記の南方熊楠(1967〜1941)は民俗学的アプローチにおいて、ひとつ対立する。
それは、柳田民俗学は日本文化の原型を取り出そうと試みたのに対し、南方民俗学は比較民俗、比較文化論的視点から日本文化を研究し、最終的に人類文化の普遍性を解明しようとしたことによるのだという。
海民と山民、漁師と猟師文化の密接的な交流。
山神と海神の接点。
ケ(常態、気、エネルギー)→ケ・ガレ(枯れ)→ケガレ(穢れ)→ハレ→ケ という循環論。
失われたものが、今新しく感じることがある。
発見がある。