Yoshitake Hashimoto

読書メモ 読書を繋ぐ 繋げる読書 交差する思想

ホッブズ リヴァイアサンの哲学者 田中浩著

近代政治思想の原点について改めて学ぶために読む。

社会契約説の祖、トマス・ホッブズ(1588〜1679)の時代背景と、その近代自然法思想の発展について。

 

社会契約説とは、人は生まれながらに自由であり、自己保存の権利、自然権をもつ。しかしながら、各々がその権利を自己主張及び拡張していくと対立が生まれる(万人の万人による闘争)。それを調停するためには、自然権の一部を国家権力に預け、理性に基づいた社会的秩序を保つ、ということ。

 

現代となっては普通の考えだが、ホッブズの生きた17 世紀初頭のイングランドではそうではない。徴税権を巡った、国家大権の拡大を図る王党派と、自由を要求する議会派の対立が過激化する、ピューリタン革命と名誉革命を挟んだ時代背景がある。そして、当時の政治思想に個人的自由はない。あるのはキリスト教とポリス(都市国家)、家族に基づいた政治思想である。

 

ホッブズは王党派と議会派による内紛を調停するためにも、個人の自由と平和主義に基づく思想を紡いでいった。

その思想的源泉とは、古代ギリシア思想家のエピクロス(BC341〜270)である。ストア派との対比で、ただの快楽主義者として誤解される思想家だが、その思想的核心とは、人間を原子運動、生命運動としてとらえ、自己保存、自然権を構築するやり方であるという。

「生命運動は自由である。」

ここに社会契約論に至った着想があるのだろう。

 

ただ、当時としては革新的かつ過激、無神論者だと、ホッブズ自然法思想が直ちに社会に根付くことはなかった。

しかし、その思想はロック、スピノザ、ルソーへと脈々と流れて、アメリカ独立、フランス革命への導火線となり、民主主義国家として浸透していくこととなる。

 

興味深い考察として、イギリス・フランス系思想に比べて、何故、ドイツでは近代自然法思想、社会契約説、民主主義が根付かなかったのか、ということ。

 

ロック、スピノザと同時代を生きたプーフェンドルフ(1632〜1694)は、当時のドイツ領邦諸国(神聖ローマ帝国、300諸侯が割拠。江戸時代の幕藩体制と似ている)に社会契約論を説いても主流にはなり得なかったという。また、ドイツが誇る二大哲学者のカント、ヘーゲルにおいても近代自然法思想(個人的自由)を十分理解出来なかったと言われている。

 

その後、プロイセンによる「上からの近代化」が進められ統一を迎えるが、近代自然法思想が取り入れられたのは、第一次世界大戦後、ワイマール共和国においてである。

しかし、民主政治の経験が不足しているワイマール共和国では、憲法制定時において、大統領に「非常大権」などの強力な権限を与えた。それに尽力したのが、著名な社会学マックス・ウェーバーであり、その後、法学者カール・シュミットが独裁憲法を完成させた。

もはや説明はいらないが、その後、ナチスドイツは「血と土」「ドイツ・ロマン主義」に基づくナショナリズムによって全体主義国家へ突き進む。

 

翻って日本。

ドイツ憲法、ドイツ哲学を明治に輸入し、上からの近代化を目指した日本も、同じ命運を辿ることとなる。

さて、現代における日本政治状況をみるに、果たしてこの近代政治思想は根付いてるのだろうか?

「市民革命」による近代自然法思想や社会契約論を経験しなければ、「真の民主主義」はやって来ないのか?

と著書は問う。

 

 

(ドイツロマン主義と闘った思想家)

トーマス・マン

エルンスト・トレルチ

 

(日本近代化再考)

福沢諭吉

加藤弘之

 

(原初的に考えるためのメモ)

エピクロス

生命運動の哲学

ドゥルーズ

分解の哲学

生命科学

動的平衡

エントロピー

西田哲学

今西進化論

柳田民俗学

山人考

ロゴスとレンマ

 

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