Yoshitake Hashimoto

読書メモ 読書を繋ぐ 繋げる読書 交差する思想

遊動論 柳田國男と山人 柄谷行人著

農商務省(現農水省)の農政官僚である柳田國男(1875-1962)が、なぜ民俗学を研究し、日本人の原初的思考へ向かうべく山人考なる思索、考察を深めたのか。

柳田の思想的足跡を辿る、哲学者柄谷行人による柳田國男論。

 

柳田國男吉野作造とともに普通選挙を実現するために論陣を張るなど、大正デモクラシーの一翼を担っている。

そしてその背景には、政府による富国強兵による農業の「工業化」、農村からの徴兵による農村衰退を危惧し、農地改革による自作農の増加、協同組合による農民の相互扶助が自立自尊に繋がるだけでなく日本の農業、農村の発展に繋がると期待したものであった。

 

しかし、その柳田の期待や試みは敗北する。

 

戦後、GHQによる農地改革が実現し自作農が増えたものの、その後の補助金および副業による兼業、稲作中心による保護政策は、柳田が目指した下からの農政とは異なるものだろう。

 

それでは、なぜ柳田は山人について考えたのか(ちなみに常民、定住農民についても考察はしている)。

それは原始社会に理想を追い求めから。

否、柳田はある確信をもっていたと、柄谷はいう。

そこに協同自助、共産的生活をみていたから。そう、歴史の変遷の中で混成していった日本列島人の基層の中にデモクラシーの根源を見出だそうとしていたから。

(ここでいう山人とは、つまり狩猟採集民=縄文文化人のことで、近世における遊動する山民=芸能漂白民とは区別される。)

 

また柳田は、同様に山人の中に神道の原初的思考を見出そうとする。それは平田篤胤派の神道イズム、いわゆる一神教的な国家神道に一直線で繋がる神道への反発からでもある。

片田舎のコミュニティのなかの小さき氏神への固有信仰(祖先崇拝)への眼差しとなり、その源流へ遡ること。祖霊たちは山へのぼり、氏神となり子孫を見守るという、祖先崇拝の原初的形態。

ある意味、その原初的思考の形態の構造を取り出すことで人類普遍的なものをみていたのではないだろうか。

(それは環太平洋モンゴロイドの神話構造がアナロジカルに繋がっていることを著書『カイエソバージュ』で言及した中沢新一の考察と類似性を感じるが。)

そういう意味では、柳田民俗学は一国民俗学を完成させたといわれるが、宗教、人類学を内包し、単純に民俗学オンリーに分節できないようにも思える。

民俗学を巡って、南方熊楠と袂を分つことになったが、ひとつの山を違う道筋で登ろうとしたのでは?と思うのは、穿った見方だろうか。

 

根源的に考えるというのは、いつの時代でも、その社会の閉塞感を打破る可能性を秘めている。

 

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