Yoshitake Hashimoto

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カネと暴力の系譜学 萱野稔人著

カネを巡る、国家と資本の起源についての哲学的考察。

国家とは合法的な物理的暴力を行使できる共同体であると、社会学マックス・ウェーバーの有名な定義を引用しつつ、国家による税の徴収力の源泉がここにあると言う。〈暴力への権利〉

また、国家の起源について、哲学者ドゥルーズガタリの論を引き、もともとは「大土木工事の事業主」だったと述べ、それはアウトローの世界にもおける類似性を指摘し、「労働の組織化」をもった権力という意味では全く同じ構造性をもつという。

では、何故、国家だけが合法的な暴力が独占できたのか?

ここでもドゥルーズ=ガタリからの引用。「国家による超コード化」というプロセスを経て、つまり暴力の法化プロセス、圧倒的な暴力が他の暴力を取り締まり、法を決定する構造的暴力に支えられているということだった。力の論理だ。

我々の多くは国家の由来をホッブズ、ルソーによる社会契約説に基づいた、暴力的な自然状態から自発的に権利の一部を権力に委ねたと認識しているかもしれないが、ウェーバードゥルーズ=ガタリの国家論はこの期待を全く裏切るものだ。

しかし、歴史が我々に教えてくれるのは、原始社会、ナチスが政権を握った時、日本が敗戦した時、それは後者についての国家像ではなかろうか。

ところで資本について、それは人々がカネという〈富への権利〉を欲したり必要とし、より多くの〈富への権利〉を獲得しようとすることが、資本の自己増殖を稼働させる。

国家と資本は人の労働による成果を自分のものにできる上記の〈暴力への権利〉及び〈富への権利〉という二つの運動に対応する。

近代以降の資本主義の成立とは、これまで君主制の下で一元化されていた〈暴力への権利〉と〈富への権利〉が分離したことによって特徴づけられる。

そして国家と資本に共通する点とは、他人の労働の成果を自分のものにすること。この収奪、搾取といった現象をとらえることが、社会の成り立ちを考察する上で重要だ。

ドゥルーズ=ガタリによる税制論では、国家が貨幣形態における税を作り出したという。

ふつう貨幣は、交換や商業上の必要からうまれたと考えられるが、交易上の都合ではなく、富を吸い上げるためだという。税が貨幣を作りだす。

そして国家による暴力の実践から切りはなして引き継ぐのが資本主義。

これらはマルクス主義的な支配構造の図式、下部構造の資本が土台として、上部構造の国家を決定するという図式とは全く違う。そしてマルクスがいう貨幣の成り立ちの仮説とも真逆だ。

税による貨幣の成り立ちの論考は、仮想通貨を考える上でも一つの示唆になると思う。

また、ドゥルーズ=ガタリの国家論によると、一時期世論を賑わした国家緊急権をそういうものだと認識させることになる。

まずは道徳的価値観を一度括弧に入れ、〈べき〉論ではなく〈である〉論で考える。この認識論に学ぶことは多い。

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