Yoshitake Hashimoto

読書メモ 読書を繋ぐ 繋げる読書 交差する思想

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 マルクス・ガブリエル マイケル・ハート ポール・メイソン 斎藤幸平編

NHK「欲望の資本主義」で話題となった哲学者、マルクス・ガブリエルの「新実在論」理解のために読んだ。

 

ガブリエルのいう「新実在論」の意味するところは、「ものが存在するそのままのあり方に、態度を合わせよ。」ということ。

存在する事実を承認し、その事実に態度をあわせること。

なんとも言えないシンパシーを感じる。

と同時に、西田幾多郎井筒俊彦など西洋と東洋哲学の架橋を試みた東洋思想家たちを想った…

(何かしら共通項や合流点がありそうな予感)

 

西洋中心主義など近代哲学の負の部分を解体し乗り越えようとしたポストモダン思想は、中心的価値観の抜けた、相対主義に陥ってしまった。いわゆる大きな物語の終焉である。

我々が生きている時代とは、まさにこのポストモダン的状況で価値観を喪失したニヒリズムに陥っていると、多くの識者たちによる共通認識となっている。

そのポストモダンの行き着いた先が、SNSフェイクニュースに代表されるように、客観的事実など重視されない、ポスト真実と呼ばれる現在の状況である。

 

ガブリエルの新実在論は、このポストモダンニヒリズムを乗り越えようとする。

存在するあらゆる領域に対して、意味を見出そうとする。これを「意味の場」と呼んでいるが、現実についての客観的事実を確立する方法だ。資本主義、民主主義から映画、漫画まで、たくさんの「意味の場」がお互いに重なり合ってる。ただし、一つの全体的、統一的領域は考えない。これが「世界は存在しない、ただしユニコーンは存在する」の真意だった。

 

実在論デカルトに始まり、カント、ヘーゲルニーチェフッサールハイデガーらが心血注いできた主客認識論をも一新する。

いわゆる〈私〉という主観が認識する〈世界〉が実在するのであって、〈私〉がいなくなれば〈世界〉は存在しない、ということ。主体が認識するから客体がある。単純化すると、あくまで〈私〉あってこその〈世界〉。

これらをガラガラポンだ。

 

フッサール現象学は〈私〉のほかに他者からの視点も入れ、〈世界〉観の蓋然性を高めたと言える。間主観性。信念対立を超える可能性があるようで、西研竹田青嗣の「欲望論」は注目中。ただし分厚い。)

 

考古学や天文物理学の発展した現代において、この認識論では限界があるからだ。

我々はもはや46億年前に太陽系が誕生したことを知っているし、700万年に人類が誕生したこと、甲斐駒ヶ岳大雪山縄文人の石器が残されてたことだって知ることが出来るから。

 

哲学もアップデートしている。

自由、平等、人権、民主主義など近代哲学が残した普遍的理念、価値観を擁護しつつポストモダン相対主義を乗り越える哲学。

気になる哲学者。

 

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